昨日新しくMIXIでマイミクさんになった方が
つぶやいていました。それは「やり方と在り方」について。
彼は「先輩にこう言われたのだが、深すぎて・・・
誰か教えて」^0^というものでした。
先輩の言葉
「やり方じゃなくて在り方が大事やねん」
この先輩も素晴らしいですね^0^/
そしてこの言葉が残ったマイミクさんも^^
「やり方」とはいわゆる方法論であり、
行動レベルですが、「在り方」とは
私たちの、信念・価値観レベルや自己認識
(アイデンティティ)レベルとなります。
因みに、環境レベル、行動レベル、能力レベル、
信念・価値観レベル、そして自己認識レベルとなります。
(私たちの顕在意識の中を分けた「ニューロロジカルレベル」)
やり方は、行動レベルですし、在り方は
信念・価値観及び自己認識レベル、といった意味が
ご理解できると思いますが、如何でしょうか?
分かり易く言うと、
「在り方」があってこその「やり方」となる^^
どんな風に自分は「在りたい」のか?
どの様に生きていきたいのか?
それらは全て、それまでの家庭環境や学校
(友人・先生、親など)の考え方なども影響しています。
自己認識や信念レベルが変わると行動レベルも変わってきます。
しかし環境、行動レベルが変わっても自己認識レベルは変わりません。
引っ越しなどで環境が変わっても、それはいっときの事なのです。
100人が同じ事を支持しても、
自分は何か違う、と感じたらそれを貫けばよいのですが、
実際は「長いものには巻かれろ」「みんなで渡れば怖くない」
「出る杭は打たれる」などの諺・格言などで
「自分」というものを信じてこられなかった人たちが
多いので「在り方」そのものを忘れてしまった、
そんな気もしています。
儒教の八徳に「仁義礼智信忠孝悌」というものがあります。
なじみあるところでも、映画の「仁義なき戦い」や
「礼儀(作法)」などの言葉もあるではないですか^^
「在り方」とは、この「礼儀」がベースにあってこそ
のものだと私は思っています。
いわゆる「人格」という言葉に繋がる、かな?
以前「織日女日記」でもこの儒教の八徳について
書いた事がありますが、すぐに調べられますので
再度きちんと落とし込みたい方は調べてみると良いですね^^
自分はどう生きていきたいか?
何をする為に生まれて来たのか?
人それぞれの「役割」があるのです。
そしてそれは一人ひとり、違うのです。
同じだったら、
人はこんなに沢山いる意味がないですよね^^
人は「進化・成長」するために今ここにいます。
それを見つける事が大事な事ですね^^
それには、「責任意識」を持って生きる事!
被害者意識でいると、自由がないのです。
(誰だれのせい、ばかりですね)
真に「責任意識」を持って生き始めたら
段々「自由」というものが分かってきます。
そしてこれまでどれだけ「不自由」な生き方を
していたか、に気付きます。
どれだけ「制限」を自分で創っていたのか、
が観えてきます。
「在り方」からはまだまだたくさんありますね^^
ここまででも、何か参考になれば幸いです。
∞真摯に生きる 織日女