「開いてこそ意味がある」
昨日11日は「鏡開き」でしたね^^
由来は皆様もご存知の様に・・・
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(下記、暮らし歳時記より)
「お正月の間、
年神様の居場所になっているのが鏡餅。
そのため、年神様がいらっしゃる
松の内の間は飾っておき、
松の内が過ぎたら下げて食べ、
年神様をお送りします。
年神様の依り代(よりしろ)である鏡餅には
年神様の魂が宿っているとされるため、
鏡餅を食べることでその力を授けてもらい、
1年の家族の無病息災を願います。
つまり、鏡餅は供えて、
開いて、食べてこそ意味があるのです。」
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同じく「酒樽」の鏡開きもありますが、
両方とも、「割り」ではなく
「開き」となっているのは
縁起を担いだものとして言われています。
言葉はエネルギーなので大事ですね^^
私は思いました。
この歳時記の最後にもある様に
「開いて食べてこそ意味がある」
実はまだ昨日おろしたおもちはそのままですが
今日は、頂きたいと思います^^
そして同じように、私たちには心があります。
心も開いて、相手と一体化してこそ意味がある!
一人一人が持っている「心(♡)(心臓)」も
ただ持っているのでは意味がない!
開いて使うからこそ、本来の役割を果たせる^^
私たちは潜在的な「怖れ」から
ついつい「心を閉じてしまう」癖がありますが、
本当に「相手を信じる」と決めたら
結果はどうなっても、まず自分から「開いて」
そして「相手に飛び込む」こと(=食べる)
が必要なのではないでしょうか。
怖れを何とかするのではなく
心=愛をだしていくだけ^0^///
「開いてなんぼ^^」ではないでしょうか!
∞あい 織日女
- 2018.01.12 Friday
- ハートと愛
- 10:42
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