「誓う〜♪から成就する♪」
「誓う」とは
「神仏に対して、ある事を固く約束すること」
「他人に対して、ある事の実行を固く約束する、
また自分の中で固く決意する」
では「言挙げ」となるとどうなのでしょう?
言挙げとは、神道において、
「言葉によって明確にする」事を言います。
古くは「古事記(中巻)」にヤマトタケルによる
言挙げが現存する最古のものだと言われていますが、
この「言挙げ」が慢心によるものだったため、
神の祟りに会い、殺されてしまった。
このため、「自分の意思をはっきりと
言葉に出していう事」を「言挙げ」と言い、
それが自分の慢心であった場合には
悪い結果がもたらされる、と解釈されています。
ちなみに、ですが面白い事に
神道家自身は、「神道は言挙げせず」と言明し、
現在では神道の理論闘争を避ける事が多いとか。
その一つの理由は多分「万葉集」の
「葦原の瑞穂の国は神(かむ)ながら事挙げせぬ国」
が有名ですが、その意味は
「葦原にある瑞穂の国(日本)は
神の御心のままに(人は自分の考えを)
言葉に出して言い立てない国」という事。
不必要な事挙げは不吉なものとしてタブーとされ、
敢えてそのタブーを犯すのは
重大な時に限られたという事。
言葉に呪術があると信じられていた古代では
(確かに魂はあるので、「言霊」がありますが)
むやみに「言挙げ」は慎まれたという事。
しかし、実はこの後があるのですね^^
「然れども言挙げぞ我がする」
この意味はあまり言われていませんが、
神道とは、宗教ではなく、「道」
「惟神(かんながら)の道」
「神への道」という事です。
そう考えると、この「然れども〜」には
自分が「誓った」ことを「言霊」にする事で
光の道を創っていく!
そんなイメージが湧いてきました。
「誓う」とは実践すること、行動すること!
その決意に「光」を当てていく事が
「言挙げ」なのではないか、と思う昨今です。
だから「成就」するのですね^0^///
大事な決意は「言挙げ」から!!!
そして、必ずそれを実行すること!!!
慢心ではなくても、そのままにしたら
ただの「嘘つき」になってしまいますね^^
∞愛を「誓う〜♪」 織日女
「神仏に対して、ある事を固く約束すること」
「他人に対して、ある事の実行を固く約束する、
また自分の中で固く決意する」
では「言挙げ」となるとどうなのでしょう?
言挙げとは、神道において、
「言葉によって明確にする」事を言います。
古くは「古事記(中巻)」にヤマトタケルによる
言挙げが現存する最古のものだと言われていますが、
この「言挙げ」が慢心によるものだったため、
神の祟りに会い、殺されてしまった。
このため、「自分の意思をはっきりと
言葉に出していう事」を「言挙げ」と言い、
それが自分の慢心であった場合には
悪い結果がもたらされる、と解釈されています。
ちなみに、ですが面白い事に
神道家自身は、「神道は言挙げせず」と言明し、
現在では神道の理論闘争を避ける事が多いとか。
その一つの理由は多分「万葉集」の
「葦原の瑞穂の国は神(かむ)ながら事挙げせぬ国」
が有名ですが、その意味は
「葦原にある瑞穂の国(日本)は
神の御心のままに(人は自分の考えを)
言葉に出して言い立てない国」という事。
不必要な事挙げは不吉なものとしてタブーとされ、
敢えてそのタブーを犯すのは
重大な時に限られたという事。
言葉に呪術があると信じられていた古代では
(確かに魂はあるので、「言霊」がありますが)
むやみに「言挙げ」は慎まれたという事。
しかし、実はこの後があるのですね^^
「然れども言挙げぞ我がする」
この意味はあまり言われていませんが、
神道とは、宗教ではなく、「道」
「惟神(かんながら)の道」
「神への道」という事です。
そう考えると、この「然れども〜」には
自分が「誓った」ことを「言霊」にする事で
光の道を創っていく!
そんなイメージが湧いてきました。
「誓う」とは実践すること、行動すること!
その決意に「光」を当てていく事が
「言挙げ」なのではないか、と思う昨今です。
だから「成就」するのですね^0^///
大事な決意は「言挙げ」から!!!
そして、必ずそれを実行すること!!!
慢心ではなくても、そのままにしたら
ただの「嘘つき」になってしまいますね^^
∞愛を「誓う〜♪」 織日女
- 2014.01.22 Wednesday
- 言霊
- 12:31
- comments(0)
- trackbacks(0)
- -
- -
- by 織日女