「69回目の終戦記念日」
今日は、第2次世界大戦が終わって
何と、69年目となります。
無条件降伏をした日でもあります。
祖国の為に戦って亡くなった先人たちへ
心から哀悼の意を捧げます。
私の父も学生でしたが戦争に行きました。
自分の所に「あかがみ」が来たとき
(父は医学部3回生でした)もう希望がない事が
分かったと言っていました。
そして鉄砲もないまま、関東軍の一員として
1週間戦い、敗れ、シベリアに連れていかれました。
4年後に舞鶴に着いた時は、
「残りの人生はおまけだ」と思ったそうです。
亡くなるまで、本当に戦争の話は
したがりませんでした。
それでも弟と私は、事あるごとに
少しずつ聴いていきました。
ここでは詳細は書けませんが、
20歳やそこらの若者が何と過酷な青春を
送ったのか、と戦争をただ憎みました。
100人いたら100通りの戦争体験が
在ると思います。少なくても私自身も
父からの話から感じた事など、
その体験があります。
当たり前のことですが、
2度と決して「戦争」はしてはいけない!
と強く強く思います。
一人ひとりこの終戦記念日位、
真剣に「戦争」→「平和」というものに
向かって行く事が大事だと思えます。
私はただただ「平和」が大好きです!
何故殺しあう? 何故傷つけあう?
国境などもなく、人類全体が互いに助け合い
認め合い、愛し合う世界の為に
一人ひとりが「最も大切なもの」を思いだし
そこと繋がっていく事からだと
私は思っています。
∞愛 織日女
何と、69年目となります。
無条件降伏をした日でもあります。
祖国の為に戦って亡くなった先人たちへ
心から哀悼の意を捧げます。
私の父も学生でしたが戦争に行きました。
自分の所に「あかがみ」が来たとき
(父は医学部3回生でした)もう希望がない事が
分かったと言っていました。
そして鉄砲もないまま、関東軍の一員として
1週間戦い、敗れ、シベリアに連れていかれました。
4年後に舞鶴に着いた時は、
「残りの人生はおまけだ」と思ったそうです。
亡くなるまで、本当に戦争の話は
したがりませんでした。
それでも弟と私は、事あるごとに
少しずつ聴いていきました。
ここでは詳細は書けませんが、
20歳やそこらの若者が何と過酷な青春を
送ったのか、と戦争をただ憎みました。
100人いたら100通りの戦争体験が
在ると思います。少なくても私自身も
父からの話から感じた事など、
その体験があります。
当たり前のことですが、
2度と決して「戦争」はしてはいけない!
と強く強く思います。
一人ひとりこの終戦記念日位、
真剣に「戦争」→「平和」というものに
向かって行く事が大事だと思えます。
私はただただ「平和」が大好きです!
何故殺しあう? 何故傷つけあう?
国境などもなく、人類全体が互いに助け合い
認め合い、愛し合う世界の為に
一人ひとりが「最も大切なもの」を思いだし
そこと繋がっていく事からだと
私は思っています。
∞愛 織日女
- 2014.08.15 Friday
- ハートと魂
- 22:22
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- by 織日女